【血闘競馬論・4章ー4】種牡馬としてのノーザンテーストの実力/久米裕・1993年4月20日
「ノーザンテーストは名種牡馬ではない」と言ったら、おそらく多くの人々の顰蹙を買う事になるだろう。
競馬サークル内でこういう発言をしたら相当のプレッシャーを受ける事になるのかも知れない。
私はその外にいるつもりだから敢えて言うが血統構成から見ればノーザンテーストは決して優秀な種牡馬ではない。これは厳然たる事実である。
猛烈な反論を受けるのは承知の上である。
11年連続チャンピオンサイアーとなり、その産駒にも
とG1レースを制覇した馬が7頭もいるではないかと。
ならば百歩譲って「日本の競馬においてはそこそこの産駒を出している種牡馬だが、決して世界レベルの名種牡馬ではない」と訂正しておこう。*1
世界におけるトップクラスの名種牡馬とは、ネアルコ、ノーザンダンサー、ニジンスキー、ミルリーフといった馬たちの事をいう。
- 日本で10年以上もリーディングサイアーの座にあってジャパンカップでの勝利馬はいたか?(ダイナアクトレスの3着が最高で、掲示板に乗ったのはこれ1頭だけ。)
確かにノーザンテーストは7頭のG1馬を出したが、別の見方をすれば昭和51年の初供用以来、昭和63年までの間だけでも公表されている産駒の数は約650頭。そのうちでの7頭である。
約1%のG1馬出現率。
もちろんその中にはシャダイアイバーのようなA級血統構成馬もいた事は認める。すなわち、それぐらい多くの配合をすれば確率的に父と母の「血の相性」がマッチした産駒も出てくるわけである。
有馬記念はファン投票という形でファンに支持されたスターホースたちが登場してくるレースである。
ハイセイコー、タケホープ、テンポイント、トウショウボーイ、グリーングラス、タマモクロス、オグリキャップ、イナリワン、スーパークリーク等などの懐かしい馬たち。
これらの馬はどれもノーザンテーストの産駒ではない。
ノーザンテーストそのものの血統分析をしてみてもその能力評価はB級である。
英仏で5勝を挙げ、そのうちのラフォレ賞は唯一のG1レースだが、それもドロンコ馬場でやたらと時計の遅いレースでの勝利であって、世界の競馬関係者がその能力を高く評価したという類のレースではない。*3
では何故にある程度産駒が活躍できたのか。
その理由もI理論によって解明することができる。
- まず第一にノーザンテーストはレディアンジェラの3×2という牝馬のクロスによる近親交配のために、全体の8分の3がこの血によって占められるという構造を持っている。
そのためにどういう繁殖牝馬を持ってきても総じてクロス馬の種類が少なくなるという特徴を示す。
その事は仕上げやすい事に繋がり、中堅レベルまではメリットとして作用する。
しかし本当の意味での名血を追求ならば、この部分がかえってネックとなる事も事実なのである。*4 - 生産者である社台内部の育成・錬成が計画的に行われているために、能力そこそこまでは才能が開花されてくる。*5
ちなみに社台以外のノーザンテースト産駒でまあまあの活躍をしたのはレジェンドテイオーぐらいである。(これは母の血の中にネヴァーセイダイの血があったために成功した。)*6
さらに社台以外の配合ではテンモン、ジュウジアローなどの良い血が犠牲になったことも忘れてはならないだろう。*7
以上、1・2の理由が日本の競馬事情にマッチしたためにノーザンテースト産駒がそこそこ走ったと言える。*8
すなわち仕上がり早のために入厩待機馬が多く、回転の早い馬の出し入れサイクルの中で、比較的早めに勝ち上がることができた。
また基礎訓練がしっかりしていた為にある意味で調教師の仕事を代替えした形で馬の能力を引き出したということ。
ただし前記1のレディアンジェラの近親という点とともに、産駒の能力を今ひとつ高められない理由となる構造も内在している。
ノーザンテーストの母方の2代にはヴィクトリアパークという血があり、その中身はアメリカ、およびカナダの馬たちで占められている為に、少数派の血になっている。
したがって、その少数派の部分が他の血と連動しにくい。
特にヴィクトリアパーク内3代のヴィクトリアナの後ろ6~8代の部分はどんな繁殖牝馬と配合してもクロス馬のいない穴となりやすい。
逆にこの穴を埋めてA級になった珍しいケースが先に挙げたシャダイアイバーなのである。
こうした構造的な問題が産駒に影響し、900万下~1500万下あたりまでのクラスでは結構好走するが、オープン、さらにはG1レースともなるとなかなか勝てなくなってくる。
また今後その産駒の多さと人気ゆえにノーザンテースト牝馬が繁殖に回るケースが増えてくるはずである。
すなわちノーザンテーストがBMSの位置に君臨してくるわけだが、その場合にも前記のマイナス面を引き継いでゆく事が多いので、勝ち馬検討には注意が必要である。
1つだけ例を挙げておく。
現在5歳終了時点で500万下にリュートハーモニーという馬がいる。
父ノーリュートはリュティエの血を引く仏チャンピオンサイアーで、社台がノーザンテーストの後継種牡馬に期待した名血。
母はもちろんノーザンテースト産駒のシャダイハーモニー。
このリュートハーモニーも超良血として騒がれた高馬だが、いまだ2勝にとどまっている。
その原因が先に示したビクトリアナの部分にできる穴。
影響力の大きいノーザンテーストの部分の穴だけに大きなマイナス要因となってくる訳である。
そしてこのリュートハーモニーに代表される配合の失敗が産駒の成績不振を生み、ノーリュートの種牡馬ととしての評価を下げる事になったのである。
さて色々ノーザンテーストについて批判的なことを書いてきたが、別にこの馬やその関係者に恨みや悪意を持っているわけではない。
ただ現在の日本の血統に対する考え方があまりに偏っている為に、ノーザンテーストへの評価が過大になりすぎている事を指摘したかっただけである。
競馬新聞やテレビの解説などで「ノーザンテースト産駒だから成長力がある」というような表現が非常に多いが、本当にこの馬の血統を分析し、その影響がどのような形で出ているかを正確に掴んだ上での発言であるとは到底思えない。
また最後に一言加えれば、仮に「ノーザンテーストが種牡馬としてこれだけ成功した」とするならば、ノノアルコ、グランディ、ウォロー、リィフォーなど、世界的レベルでの名血をなぜ日本の生産界は種牡馬として活かし切れなかったのかーー。
*1:ちなみにこの文章が出た前年1992年の世界のリーディングサイアーは英愛Sadler's Wells、北米Danzigでした。
方やGalileo、方やWar Frontと、2020年代にも直系種牡馬が大活躍を続けています。
一方ノーザンテースト直系種牡馬は十勝支庁で細々と種牡馬を続けていたダイナマイトメール(父ダイナレター)が2008年にひっそりと引退し、遂にノーザンテースト系直種牡馬は絶滅。あまりにも対象的な結果に終わりました。
*2:これは南半球でシャトル種牡馬が開始されたのが1997年のカーネギー、グルームダンサー、ヘクタープロテクター、ペンタイア、ロドリゴデトリアーノ、ワージブでした。その時ノーザンテーストは当時26歳。時代が間に合わなかった感はあります。
*3:しかしよく考えて欲しいのです。ノーザンテーストはノーザンダンサー狂想曲が始まる直前に、たったの10万ドルで運良く買えた見栄えの悪い馬でした。10万ドルでG1ホースを手に入れるのはどれだけ難しい事か。
*4:競走馬として仕上げやすい事が大きなメリットとなるのは除外システムが厳しくなる一方の2000年代以降の話ですが、育成の現場感覚で言うと仕上げやすさとは「ハミ受けや鞍付けが素直・強い追切をしてもガタッと跛行しない」といった現象を持って関係者は仕上げやすいと言います。
これは「気性が良く・筋肉や骨、腱の質が良い」という事です。「仕上げやすい」とは決して軽んじられるべき用語ではなく、むしろこの上なく素晴らしい利点でしかありません。
つまり「近親交配の種牡馬でクロス馬が少ない」というノーザンテーストの特徴は弱点やネックではなく、種牡馬として得た名声と意外にもきっちりとリンクする。このように逆に考えると、ノーザンテーストのクロス馬の少なさをフルに生かした産駒が多かった為にハイアベレージな種牡馬成績を保ったのではないでしょうか。
*5:アカン所は取り消し線にて修正しました。
*6:アカン所は取り消し線にて修正しました。
*7:アカン所は取り消し線にて修正しました。
*8:アカン所は取り消し線にて修正しました。
【血の提言・1章】≪走る馬≫となるための不動の鉄則 /五十嵐良治 1983年11月28日発表
- 19世紀に流行したニックス(Blood Nicks)
- Nasrullah ナスルーラとPrincequillo プリンスキロのニックス
- 競走能力の遺伝の法則
- ミルリーフとセクレタリアトが示す「ナスルーラとプリンスキロ」の不完全なニックス
競走馬が優駿となるための最も重要で、しかももっとも基本的な条件は、まず第一に父となる種牡馬の血と母となる繁殖牝馬の血がぴたりと合っていなければならないことである。
これは洋の東西を問わず微動だもしない、不動の法則である。
繁殖牝馬に世界的な一流馬の種牡馬あるいは流行の種牡馬を交配すれば、それなりに優秀な産駒が得られるなどと錯覚することは大変な誤解である。
例えばノーザンダンサーを、あるいはニジンスキーを、ヨーロッパ系の血だけを持つ牝馬に交配しても、その産駒が競走馬として成功する確率は百分の一にも満たないこと、
またそれと同様にアメリカ系の血とヨーロッパ系の血を半々に持っている牝馬に交配しても、その牝馬の血の中にノーザンダンサーが、あるいはニジンスキーが求める血がなかったら、産駒が競走馬として成功する確率はまちがいなく零になるのだ。
その原因は一言でいえば父の血と母の血が合わなかったからだ。
19世紀に流行したニックス(Blood Nicks)
さて、この《血が合う》ということはどういうことか。
既に19世紀の中頃に Blood Nicks(ブラッド・ニックス、血の相性)と称して 、《どの種牡馬の牝馬にはどの種牡馬を交配すれば、比較的よく走る馬が出る》という一つの優駿生産の方式が生産界で盛んに行われるようになった。
例えば、Wenlock ウェンロック牝馬にはIsonomy アイソノミーの血が合うとして、英ダービー馬Isinglas アイシングラスが生まれた。
第2例はHermit ハーミット牝馬とIsonomy アイソノミーとのニックスだが、
Gallinule ガリニュール 1884 牡 (英国の名種牡馬)
Arcadia アルカディア 1887 牝 (Cylleneの母)
Guido Reni ギドレニ 1908 牡 (伊ダービー馬)
同馬はフェデリコ・テシオ氏
1869~1953、Nearco ネアルコ(14戦14勝)、およびRibot リボー(16戦16勝)の生産者としてよく知られている
の生産馬として最初の伊ダービー馬となったGuido Reni ギドレニだが、同馬の生産は第2例の応用であった。
Hampton ハンプトンとGalopin ガロピンのニックスだが、この類例はおびただしい数にのぼる。
Macaroni マカロニ牝馬にBend Or ベンドアを交配して、英ダービー馬Ormondo オーモンド(1883)が生産された。
この型の交配は大成功して数十頭の優駿を輩出させたが、この数例を紹介しておこう。
- Ornament オーナメント(牝・1887 オーモンドの全妹。Sceptre セプター<1963年の英ダービー馬Relkoの7代母>の母)
- Kendal ケンダル(1883 英三冠馬Galtee More ガルテモア<1894年生>の父)
- Orviet オルビスト(1888 種牡馬)
- Laveno ラベーノ(1892 種牡馬)
- Doremi ドレミ(牝・1894 Teddy テディの祖母)
以上、ほんの一部の類例として、ニックスによって生産された優駿を紹介したが、これらはある1頭のよく走る馬の交配形態を次の生産でコピーしたものだが、一世紀前のすぐれた競馬人が血の相性のいい交配―――よく走る馬が出る交配として採用したものであった。
Nasrullah ナスルーラとPrincequillo プリンスキロのニックス
20世紀に入っても、このニックスによる交配形態は広く採用され、また現在に至るまで欧米では今なお採用されている。
それらのうちで最も広く知れわたっているのは、Nasrullah ナスルーラとPrincequillo プリンスキロのニックスで、このニックスから、Mill Reef ミルリーフ(1968)とSecretariat セクレタリアト(1970)という、2頭の超一流馬が出るに至ったが、さてこのニックスとはそもそもどういうことなのか、という問題が、《血が合う》ということに他ならないのだ。
とはいうものの、こんなことが解っても、ニックス何ぞや、あるいは《血が合う》という事はどういう事かは全く正体不明のままなのである。
さて、このニックスについての解説――具体例に従えばNasrullah ナスルーラとPrincequillo プリンスキロとのニックスの全容を解明するためには、まず
- 第1に、サラブレッドの競走能力の遺伝の方法
- 第2に、各世代にある影響力を持っている特定の祖先がどのような経路で影響力を発揮するか(第2章・第3章)
- 第3に、これら影響力を持っている祖先の血が実際に有効的に影響するのは何代目までか――言いかえるなら何代目まで遡って調査しなければならないか(第4章)。
この第1、第2、第3の問題を是が非でも解明しておかなければならないのである。
第4章までの道程を確実に辿ることは必ずしも容易ではないだろう。
何となれば、時には無味乾燥な理論のトンネルを通りぬけなければならなくなったり、またサラブレッドの血統に潜んでいる一つの事実を確認し、更に次の事実を積み重ね、またその上に積み重ねて整理して、これらの集収された事実を因果関係のタテの糸とヨコの糸でしっかり結びつけ、やがてこれらが一つの理論的体系としてまとまるまで辛抱づよく、集める仕事、整理する仕事、タテとヨコのバランスを保ってそれらを相互に結びつける仕事に精魂を打ちこまなければならないからである。
これら第4章までに盛り込まれた基礎理論が、サラブレッドの能力評価において、またサラブレッド生産において不可欠なものであり、これらの基礎理論を現実問題に適用する際、自由自在にあやつることができ、しかも内容豊かな理論とするためには、第5章、第6章において検討される《古今の名馬の血統研究》が重要な意味を持つ。
ともあれ、まず第1の問題からはじめよう。
競走能力の遺伝の法則
サラブレッドの競走能力の遺伝は、父の血統と母の血統に、それぞれ存在する同一の祖先によってのみ行われる。従って、これらの同一の祖先こそサラブレッドの競走能力を遺伝させる遺伝子なのである。
この遺伝学上の原則を証明するためには、まず第一に近親交配の場合あるいは異系交配の場合に分けて、幾多の例証によって実証した上で、
(但し、この実証だけでこの雑誌の頁を少なくとも30ページを必要とするためここでは割愛して)
第2章、第3章、第4章、第5章によって上記の原則の内容を具体的に解明し、その原則の附帯条件を洩れなく実証してゆくことにしよう。
また、上記の原則は、これから展開される解説の中で引用される幾多の例証の中に数多く現れるから、その都度逐一解説していくことにしよう。
従ってここでは、とりあえず上記の命題をそのまま原則として受け入れて頂きたい。
ミルリーフとセクレタリアトが示す「ナスルーラとプリンスキロ」の不完全なニックス
さて、Mill Reef ミルリーフとSecretariat セクレタリアトという2頭の超一流馬を生んだ絶妙なニックスとして知られている、Nasrullah ナスルーラとPrincequillo プリンスキロのニックスの実体―――
そのそれぞれの血統内にあって、2つの血を結びつけると同時に、競走能力の遺伝の役目を果たす同一の祖先(以後、これをクロス馬と呼ぶ)が
- どのように配置されているか
- また、これらのクロス馬が何頭ぐらいいるか
を次の表によってじっくり確認して頂きたい。
Nasrullah ナスルーラもPrincequillo プリンスキロも、上記2頭の超一流馬(ミルリーフ、セクレタリアト)の血統内にあっては、2代目に位置する。
次に示した表は、3代目(ナスルーラの父ネアルコなど*)から、8代目(ミルリーフ、セクレタリアトの8代父ボナヴィスタなど*)までに存在する
- 同一の祖先(クロス馬)
をすべて網羅したものである。
Mill Reef ミルリーフの血統構成の分析表が明らかにすることだが、
(写真1枚目の)クロス馬の集計表に(*空欄として)示した、 II(父の母) と、 IV(母の母) の2頭の牝馬の血統が加わると、クロス馬の数および配置の様相が一変する。
また、第4章で解説される血統構成内に存在する血統の弱点と欠陥がどういうもので、それが能力の低下を引き起す元兇となる事実が判明する。
こうした事実がわかってくると、Nasrullah ナスルーラとPrincequillo プリンスキロのニックスが絶妙なニックスではなく、きわめて不完全なニックスであることも分かるのである。
しかしながら、Mill Reef ミルリーフやSecretariat セクレタリアトのような超一流馬が出たのは、 II (父の母)と IV(母の母) に該当する牝馬の血統構成馬の血によって、上記の不完全なニックスが充分に補修されたからなのだ。
また、第4章ではこのような不完全なニックスではなく、ほぼ完成されたニックスとして、
1985年になると新馬が登場する2頭の優秀な種牡馬――ノノアルコ Nonoalco、およびウォロー Wollow(昭和56年秋、中央競馬会が輸入した種牡馬)とBuckpasser バックパサー牝馬、およびヒンドスタン Hindstan牝馬とのそれぞれのニックスが紹介される。*1
さて今の段階で結論できることは、
2頭の馬のニックス(血の相性)とは、あるいは《血が合う》ということは、
- 2頭の馬のそれぞれの血統内に、8代まで遡るうちに充分な数のクロス馬が存在して、
- これらのクロス馬の配置が5代目の血統構成馬の血統内に洩れなく配置されていれば、
それはきわめて有効なニックス、あるいは《血が合う》と断定できることだ。
表記の基本方針
・馬名の間には「・」を用いない
・注釈は該当用語直後に付属させる
・読みやすくするため用法間違いは( *)で補足
出典・1983年12月12日週刊競馬ブック「血の提言」/文・五十嵐良治
引用は自由にどうぞ。その際、出所は明らかにして下さい。
2004年に有限会社アイケー(IK血統研究所)より許可を得てweb掲載しています。
【血の提言・0章】競走能力の遺伝について«走る馬とはどんな血統構成を持った馬か≫ /五十嵐良治 1983年11月28日発表
~本編に入るまえに~
これから8回の予定で解説するサラブレッドの血統内に潜んでいる、いろいろな謎―競走能力の遺伝の法則、能力強化の血の仕組み、あるいは能力の低下を引き起こす血の仕組みの欠陥あるいは弱点等―これらについてゴマカシのない明快な結論が与えられ、血の仕組みの内容が逐一解説されるが、
これらはすでに理論的な解明を完了したもの、あるいは充分な数の数百例の実証を得たものばかりで、推論や想像によって述べられたものは一つもないことを最初に明言しておく。
従ってこれらの意見や解説に基づいて競走馬の血統構成を分析すれば、その競走能力をほぼ正確に把握できるのだが、このことは煎じ詰めれば、父となる種牡馬の血統と、母となる繁殖牝馬の血統によって、サラブレッドの競走能力の可能性はその生産以前にほぼ的確に評価できるのである。
従って、低素質の産駒あるいは極端に低素質のデキソコナイ馬の生産を未然に防げることになる。
こうした見解はこれまでのサラブレッド生産界の常識を根底から覆す衝撃的な発言だが、おそらく喧々ごうごうたる論争を巻き起こすであろうと考えている。
血統研究の意義は、単にその馬の競走成績、その父の競走成績および優秀な産駒の数々、母の・祖母の・3代母等々の競走成績および産駒を並び立てれば充分だという訳にはいかない。
最も重要なことは、その馬の競走成績が達成された能力の原因を血統構成の中に見出して、その馬の競走能力の可能性の実体を具体的に掌握する事である。
例えば―12ハロン以上の一流レースで好成績を残した種牡馬の産駒にはマイラーも出ればステイヤーも出ること、また抜群のスピードを誇る種牡馬からステイヤーも出ること―これらについては誰もがすでに認知している事実であるが、これらの諸結果の《何故》を究明する確実な足がかりとなる揺るぎない基準を提供するのが、これから展開される解説の最大の目標である。
具体的な馬の名を挙げて、この解説の目標を指摘すれば、
昭和58年度の日本の皐月賞、日本ダービーを制したミスターシービー(9代血統表・IK血統研究所版 pdfファイル)の持久力の限界、この馬の能力の実体、歴代のダービー馬と比較して、どの程度の馬なのか、
あるいはまた、
- ダービーに勝てたのは相手が弱すぎたのではないかどうか
等を、それぞれの根源的原因を明示する事によって的確に把握できる基準を提供するになる。
また、この稿の中に引用される馬たちの中には、欧州の一流レースを勝った馬を多数とりあげているのは、これらの馬たちが高額な登録料を払い、しかもそれ相応の高素質な馬を相手に戦ってきた馬たちで、その上抜群の競走成績を残してきたからだ。
しかしながら、この稿の中で行われる評論では、1983年のイギリスダービーを制したTeenoso ティーノソーという馬がダービーを制したからといって無条件にすばらしい馬だ――などという不見識な評価はしない。
この馬が勝てたのは
- 前日の雨のため馬場が極悪化し、このことが血統内(母の父*)においてBallymoss バリモスという重戦車のような強力なスタミナ的勢力に支えられ(ており*)、この馬にとって願ってもない好条件に恵まれたこと
- また、この馬がダービー馬になれた最大の理由が(他の出走馬の能力評価を念入りに検討した結果)たまたま低素質馬ばかりであったこと
- 更にまた、この馬自身の血統構成の特徴を明らかにして古今の名馬と比較した上で具体的にその弱点を指摘して《一流馬》としての血統構成とは程遠い事実
を明らかにする。
この指摘を実証したのは、3週間後に行われたアイルランド・ダービーだが、この馬は仏ダービー馬Caerleonカーリアンとともにノーザンダンサー産駒Shareef Dancerシャリーフダンサーに4-1/2馬身の差で完敗し、
1983 irish derby shareef dancer
更に7月23日に行われた英国最大のレース、キングジョージ6世&クインエリザベスステークスには、良馬場では到底勝ち目なしとして出走を回避した。(優勝馬は昨年度の英オークス馬Time Chater タイムチャーター、牝4才)[*現年齢表記に修正]。
そして、《世界的な一流馬とは、極悪馬場とか、他の主力馬が不調のときとか、あるいはたまたま相手が高素質ではないという特殊な条件に恵まれ なければ勝てないような馬ではなく、如何なる条件下にあっても、強敵を相手にして抜群の好成績を残し得る馬たちだけである。それだけではない、その馬の血 統構成の血の仕組みが一流馬として相応しいものでなければならない。》と締めくくられる。
従って、この稿の末尾第6章には一流馬になるための血統構成上の血の仕組みの諸条件が、万人ともに容認するであろう世界の超一流馬、あるいは一流馬――
- Alleged アレジド(1974、凱旋門賞2回)
- Spectacular Bid スペクタキュラービッド(1976、1980年度の米年度代表馬、10ハロンまでは世界最強との定説)
- Golden Fleece ゴールデンフリース(1979、英ダービー馬、邦貨にして約90億円のシンジケートを組まれた馬)
- Conquistador Cielo コンキスタドールシエロ(1979、ベルモントS馬、約98億円でシンジケートを組まれる。この馬の馬名は大空の征服者との事。)
等の名馬たち、および1983年度のアイルランド・ダービー馬Shareef Dancer シャリーフダンサー(1980)等これら古今の世界的な優駿の血統構成との比較で論じられる事になる。
サラブレッドの能力評価の判断基準を確保するためには、最低限度次に示す条項に精通していなければならない。
第1章-≪走る馬≫となるための不動の第1章 走る馬となるための不動の鉄則 ★競走能力の遺伝の法則
第2章 血統構成を検討する際の着眼点 ★影響度の評価点の算定
第3章 血の仕組みを強化する要因 ★系列ぐるみのクロスと単一のクロス
第4章 血の仕組みを弱化する要因 ★血統内に派生する欠陥と弱点
第5章 古今の名馬の血統構成の研究こそ血統研究の恒久的な基本
第6章 世界的な優駿の祖父母4頭の影響度の特徴に基づいて分類した血統構成の型 (→「世界の優駿の血統構成の型について」 に改題されました。)
第7章名馬とはどういう馬か ★日本で名馬と言われる名馬たちの群像(→実際には、「競走能力を評価するための未解説事項」と変更されました。)
第8章むすび ★罷り通っている誤った理論の数々 ( → 実際には、「競走能力の遺伝の法則の発見とその遺伝学的な意味」と変更されました。)
表記の基本方針
・馬名の間には「・」を用いない
・注釈は該当用語直後に付属させる
・読みやすくするため用法間違いは( *)で補足
出典・1983年11月28日週刊競馬ブック「血の提言」/文・五十嵐良治
引用は自由にどうぞ。その際、出所は明らかにして下さい。
2004年に有限会社アイケー(IK血統研究所)より許可を得てweb掲載しています。