I理論(五十嵐理論)の源流 Founder of I theory

I理論(五十嵐理論≒IK理論)が世に出た当時の記事である「血の提言」「血闘競馬論」を現代の技術を使ってより読みやすく再現してみました。

【血の提言・1章】≪走る馬≫となるための不動の鉄則 /五十嵐良治 1983年11月28日発表

 

競走馬が優駿となるための最も重要で、しかももっとも基本的な条件は、まず第一に父となる種牡馬の血母となる繁殖牝馬の血がぴたりと合っていなければならないことである。

これは洋の東西を問わず微動だもしない、不動の法則である。

繁殖牝馬に世界的な一流馬の種牡馬あるいは流行の種牡馬を交配すれば、それなりに優秀な産駒が得られるなどと錯覚することは大変な誤解である。

例えばノーザンダンサーを、あるいはニジンスキーを、ヨーロッパ系の血だけを持つ牝馬に交配しても、その産駒が競走馬として成功する確率は百分の一にも満たないこと、

またそれと同様にアメリカ系の血とヨーロッパ系の血を半々に持っている牝馬に交配しても、その牝馬の血の中にノーザンダンサーが、あるいはニジンスキーが求める血がなかったら、産駒が競走馬として成功する確率はまちがいなく零になるのだ。

その原因は一言でいえば父の血と母の血が合わなかったからだ。

 

19世紀に流行したニックス(Blood Nicks)

さて、この《血が合う》ということはどういうことか。
既に19世紀の中頃に Blood Nicks(ブラッド・ニックス、血の相性)と称して 、《どの種牡馬牝馬にはどの種牡馬を交配すれば、比較的よく走る馬が出る》という一つの優駿生産の方式が生産界で盛んに行われるようになった。

例えば、Wenlock ウェンロック牝馬にはIsonomy アイソノミーの血が合うとして、英ダービーIsinglas アイシングラスが生まれた。

 

第2例はHermit ハーミット牝馬とIsonomy アイソノミーとのニックスだが、

Gallinule ガリニュール 1884 牡 (英国の名種牡馬
Arcadia アルカディア 1887 牝 (Cylleneの母)
Guido Reni ギドレニ 1908 牡 (伊ダービー馬)

同馬はフェデリコ・テシオ氏

1869~1953、Nearco ネアルコ(14戦14勝)、およびRibot リボー(16戦16勝)の生産者としてよく知られている

の生産馬として最初の伊ダービー馬となったGuido Reni ギドレニだが、同馬の生産は第2例の応用であった。

Hampton ハンプトンとGalopin ガロピンのニックスだが、この類例はおびただしい数にのぼる。

Macaroni マカロニ牝馬にBend Or ベンドアを交配して、英ダービー馬Ormondo オーモンド(1883)が生産された。
この型の交配は大成功して数十頭の優駿を輩出させたが、この数例を紹介しておこう。

 

以上、ほんの一部の類例として、ニックスによって生産された優駿を紹介したが、これらはある1頭のよく走る馬の交配形態を次の生産でコピーしたものだが、一世紀前のすぐれた競馬人が血の相性のいい交配―――よく走る馬が出る交配として採用したものであった。

 

Nasrullah ナスルーラPrincequillo プリンスキロのニックス

20世紀に入っても、このニックスによる交配形態は広く採用され、また現在に至るまで欧米では今なお採用されている。

それらのうちで最も広く知れわたっているのは、Nasrullah ナスルーラPrincequillo プリンスキロのニックスで、このニックスから、Mill Reef ミルリーフ(1968)とSecretariat セクレタリアト(1970)という、2頭の超一流馬が出るに至ったが、さてこのニックスとはそもそもどういうことなのか、という問題が、《血が合う》ということに他ならないのだ。

とはいうものの、こんなことが解っても、ニックス何ぞや、あるいは《血が合う》という事はどういう事かは全く正体不明のままなのである。

 

さて、このニックスについての解説――具体例に従えばNasrullah ナスルーラPrincequillo プリンスキロとのニックスの全容を解明するためには、まず

  • 第1に、サラブレッドの競走能力の遺伝の方法
  • 第2に、各世代にある影響力を持っている特定の祖先がどのような経路で影響力を発揮するか(第2章・第3章)
  • 第3に、これら影響力を持っている祖先の血が実際に有効的に影響するのは何代目までか――言いかえるなら何代目まで遡って調査しなければならないか(第4章)。

この第1、第2、第3の問題を是が非でも解明しておかなければならないのである。

 

第4章までの道程を確実に辿ることは必ずしも容易ではないだろう。

何となれば、時には無味乾燥な理論のトンネルを通りぬけなければならなくなったり、またサラブレッドの血統に潜んでいる一つの事実を確認し、更に次の事実を積み重ね、またその上に積み重ねて整理して、これらの集収された事実を因果関係のタテの糸とヨコの糸でしっかり結びつけ、やがてこれらが一つの理論的体系としてまとまるまで辛抱づよく、集める仕事、整理する仕事、タテとヨコのバランスを保ってそれらを相互に結びつける仕事に精魂を打ちこまなければならないからである。

これら第4章までに盛り込まれた基礎理論が、サラブレッドの能力評価において、またサラブレッド生産において不可欠なものであり、これらの基礎理論を現実問題に適用する際、自由自在にあやつることができ、しかも内容豊かな理論とするためには、第5章、第6章において検討される《古今の名馬の血統研究》が重要な意味を持つ。

ともあれ、まず第1の問題からはじめよう。

競走能力の遺伝の法則

サラブレッドの競走能力の遺伝は、父の血統と母の血統に、それぞれ存在する同一の祖先によってのみ行われる。従って、これらの同一の祖先こそサラブレッドの競走能力を遺伝させる遺伝子なのである。

この遺伝学上の原則を証明するためには、まず第一に近親交配の場合あるいは異系交配の場合に分けて、幾多の例証によって実証した上で、

(但し、この実証だけでこの雑誌の頁を少なくとも30ページを必要とするためここでは割愛して)

第2章、第3章、第4章、第5章によって上記の原則の内容を具体的に解明し、その原則の附帯条件を洩れなく実証してゆくことにしよう。

また、上記の原則は、これから展開される解説の中で引用される幾多の例証の中に数多く現れるから、その都度逐一解説していくことにしよう。

従ってここでは、とりあえず上記の命題をそのまま原則として受け入れて頂きたい。

 

ミルリーフとセクレタリアトが示す「ナスルーラプリンスキロ」の不完全なニックス

さて、Mill Reef ミルリーフとSecretariat セクレタリアトという2頭の超一流馬を生んだ絶妙なニックスとして知られている、Nasrullah ナスルーラPrincequillo プリンスキロのニックスの実体―――

そのそれぞれの血統内にあって、2つの血を結びつけると同時に、競走能力の遺伝の役目を果たす同一の祖先(以後、これをクロス馬と呼ぶ)が

  • どのように配置されているか
  • また、これらのクロス馬が何頭ぐらいいるか

を次の表によってじっくり確認して頂きたい。

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Nasrullah ナスルーラPrincequillo プリンスキロも、上記2頭の超一流馬(ミルリーフ、セクレタリアト)の血統内にあっては、2代目に位置する。

次に示した表は、3代目(ナスルーラの父ネアルコなど*)から、8代目(ミルリーフ、セクレタリアトの8代父ボナヴィスタなど*)までに存在する

  • 同一の祖先(クロス馬)

をすべて網羅したものである。

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この段階では6代目以内では、White Eagleしかクロスしていない。

 

Mill Reef ミルリーフの血統構成の分析表が明らかにすることだが、

(写真1枚目の)クロス馬の集計表に(*空欄として)示した、 II(父の母) と、 IV(母の母) の2頭の牝馬の血統が加わると、クロス馬の数および配置の様相が一変する。

 

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ミルリーフの8代血統表(五十嵐氏自筆)/ミルリーフの6代目以内では、The Tetrarch、Gay Crusader、White Eagleの3系統がクロスしている。

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セクレタリアトの8代血統表(五十嵐氏自筆)/セクレタリアトの6代目以内では、White Eagle、Polymelusの2系統がクロスしている。

また、第4章で解説される血統構成内に存在する血統の弱点と欠陥がどういうもので、それが能力の低下を引き起す元兇となる事実が判明する。

 

こうした事実がわかってくると、Nasrullah ナスルーラPrincequillo プリンスキロのニックスが絶妙なニックスではなく、きわめて不完全なニックスであることも分かるのである。

 

しかしながら、Mill Reef ミルリーフやSecretariat セクレタリアトのような超一流馬が出たのは、 II (父の母)と IV(母の母) に該当する牝馬の血統構成馬の血によって、上記の不完全なニックスが充分に補修されたからなのだ。

 

また、第4章ではこのような不完全なニックスではなく、ほぼ完成されたニックスとして、
1985年になると新馬が登場する2頭の優秀な種牡馬――ノノアルコ Nonoalco、およびウォロー Wollow(昭和56年秋、中央競馬会が輸入した種牡馬)とBuckpasser バックパサー牝馬、およびヒンドスタン Hindstan牝馬とのそれぞれのニックスが紹介される。*1


1991年 有馬記念 ダイユウサク .mp4

 

 

さて今の段階で結論できることは、

2頭の馬のニックス(血の相性)とは、あるいは《血が合う》ということは、

  • 2頭の馬のそれぞれの血統内に、8代まで遡るうちに充分な数のクロス馬が存在して、
  • これらのクロス馬の配置が5代目の血統構成馬の血統内に洩れなく配置されていれば、

それはきわめて有効なニックス、あるいは《血が合う》と断定できることだ。

 

 

表記の基本方針
・馬名の間には「・」を用いない
・注釈は該当用語直後に付属させる
・読みやすくするため用法間違いは( *)で補足

 

出典・1983年12月12日週刊競馬ブック「血の提言」/文・五十嵐良治

引用は自由にどうぞ。その際、出所は明らかにして下さい。

2004年に有限会社アイケー(IK血統研究所)より許可を得てweb掲載しています。

*1:1991年の有馬記念勝ち馬ダイユウサクは父ノノアルコ、母の父ダイコーター(ヒンドスタンの息子)という配合であり、五十嵐氏が提言したニックスはある程度証明されたと言える。